「法」

 

 人間には必ず人を支配すると申します。欲求がございます。つまり
それが一番簡単です「すべて出来上がった私が人に教えよう」本然的(もと
もとそうなっている)人に頼る横着な心。これを具有(持ち備えた心です)
特に真言宗の考え方です。これが個人の自立心を阻害
いたします。様々な策を講じて、画策いたします。釈迦やキリストのように
自分の悟りによって自分の生き方を知るのではありません。
現在までの状態です。一人の識者と称して釈迦やキリストを使うのです。
その思想を改竄し捏造いたします。今回のこの状態がそれを皆様に教授(教えるため)
にあることをお考え下さい。自立が成仏のカギであることを。
全て自分がすることです。

https://www.youtube.com/watch?v=8JcNWXVRxzs


https://www.youtube.com/watch?v=jJ0SAEVpsxQ

 

https://www.youtube.com/watch?v=o0HsD73LOFQ
https://www.youtube.com/watch?v=wYGmU6vCVc8

 

もう一度十如是を確認いたします
「法」とは森羅万象の全宇宙に現存する法則のことです。それが十如是と申します
定理「法」・法則に依って森羅万象全ての物質が管理され厳然と裁定されておりま
す。その本意は「したことは・される」これが十如是です。何遍も書いており
ます。ですからこれが仏教の教える、法測の基準「善・悪」の基となります。

  乃能究尽。諸法実相。
所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。
如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。           
      妙法蓮華経巻第一     方 便 品 第二

 釈迦が申します
* 総ての諸法のありのままのすがたを見極めつくした。
 いはゆる諸法のかくのごとき相・ 姿、振る舞。かくのごとき報 ・報復・むくい
「姿・振る舞い」を「本」。「報復・報い」を「末」が一貫して等しい。
(すなわち本・末・究竟等なり)
やくやくこういう言い回しになるのはこの時のためではありません、釈迦は
日蓮大聖人の時代になって初めてこの十如是を開示(開く・教える)のため解り
ずらく説いています。

釈迦が「法」のありのままのすがたを見極めた(悟った)
*個人のありさま・姿・その振る舞い(本)が個人の行った事(末)の報いとなる
要約ですがこれが十如是です
仏の悟りです仏教徒はこれを唯一無二に信じることです。例外はございません。
仏の教法の通りに実践するのです。仏が生命の最高位です。お解り
どういう仕方にせよ仏が最高位です。その教法が法華経です。釈迦がそう申します。
「仏になりなさい」あとは何もありません人は仏になることが本文です。
「DS・デープステート」とは何ですか。欲張り変態集団ですか。その配下とは何で
すか、それも日本人の欲張り変態集団ですか。まだ解らない阿保の洗脳創価学会
すか。生命を本尊とする皆様は子供を苦しめたり食したりしないでしょうね。
十如是が理解できましたか、「したことはされるのです」これが釈迦の教判ですよ。
いつまでだんまりを決め込んでいるのですか。

他の人は貴方とは関係ありません
ご自分の事ですから、ご自分でするのです、お解りご自分の修業ですから
「自分でして」結果をご自分が「自分のこの不甲斐無い意思をこう決めました」
と自分の「意志に確約するのです」、すべて自分でして自分で決めた自分の「志」
にこの時、変わるのです。これが自立の「志」と申します。
これが一念と申します