高原の憂鬱・依正不二

依正不二とは依報と正報が二にして不二であることですの。

依報(環境世界)と正報(自己主体)とは各々別物ではなく相互に関連しあって現実
の世界を形成しているとの立場から、すべての存在は、その最も深い次元では一念を
離れて存在しないこと、正報とは過去の行為(業)の報いとして得た有情(感情)
の身体、を申します、そしてこの生命活動を営む主体(身体)、がその身の拠りどこ
ろとする環境・国土を依報と申します。


 人も含めた皆様の境涯に副った、すべての事象、国土・環境は皆様自身ですの。
皆様の一念・思いが自己を形成する国土・環境を創りますの。
「法」とは、皆様に節約を求めているわけではありませんの、人間に対しての
相互関係ですの、誰もが気がふれた人間を、嫌うように、個人の礼節の差を思う
からです、まず嘘は誰でもが嫌うはずです、互いの意思が伝わりませんから、
それだけお話しておきます。

「真理を探究する楽しみ」を見つけてくださいな。

 

三世諸仏総勘文教相廃立        

 三世の諸仏は此れを一大事の因縁と思食して世間に出現し給えり一とは中道なり
法華なり大とは空諦なり華厳なり事とは仮諦なり・阿含方等・般若なり巳上一代の
総の三諦なり、之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐成仏の直道なり因と
は一切衆生の身中に総の三諦有って常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは
三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値
えば必ず顕るるが故に縁と云うなり、
然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して値い難き善知識の縁に値いて
五仏性を顕さんこと何の滞りか有らんや春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の
草木も皆 悉く萌え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の
縁に値いぬれば草木皆 悉く実成る熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終
に成仏の徳用を顕す之を疑い之を信ぜざる人有る可しや無心の草木すら猶以て是く
の如し何に況や人倫に於てをや.
我等は迷の凡夫なりと雖も一分の心も有り解も有り善悪も分別し折節を思知る然る
に宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり善知識の縁に値いなば因果を分別
して成仏す可き身を以て善知識に値うと雖も猶草木にも劣って身中の三因仏性を顕
さずして黙止せる謂れ有る可きや、此の度必ず必ず生死の夢を覚まし本覚の寤に還
つて生死の紲を切る可し今より巳後
は夢中の法門を心に懸く可からざるなり、三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経
を修行し障り無く開悟す可し自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰り無し、
三世の諸仏の勘文是くの如し秘す可し秘す可し。

弘安二年己卯十月  日               日 蓮  花 押   

 

三諦(空諦、報身・仮諦、応身・中諦、法身)真理の三つの側面(法の報に応じた身体)

 三世の諸仏はこれを一大事の因縁(仏がこの世に出現した本意)と考えられて世間

に出現されたのである。一大事因縁の一とは中道(左右両極端ではなく真ん中の道)

であり法華経である。大とは空諦であり、華厳経である。事とは仮諦であり、阿含経

方等経、般若経である。以上は一代聖教のうえに立てた総の三諦である。この総の

三諦を悟り知るときは仏果を得るゆえに、、諸仏にとって出世の本懐であり、衆生

あっては成仏の直道なのである。因とは、一切衆生の身中に総の三諦があって、常住

不変であるということで、これを総じて因というのである。縁とは、三因仏性(仏に

なるべき性分、正因・了因・縁因)はあるといっても、善知識(仏道に導きいれる人)

の縁に値わなければ、これを悟らず、知らず、また顕れることもない。善知識の縁に

値えば必ずあらわれるゆえに縁というのである。しかるに今、このい一と大と事と因

と縁との五事が和合して、値いがたい善知識の縁に値って、五仏性をあらわすことに、

なんの滞りもないのである。春のときがきて風雨の縁に値えば、無心の草木も皆ことご

とく萌え出でて、華も咲き栄えて世間に出る気色である。秋になって月の光の縁に値え

ば、草木は皆ことごとく実が熟れて、一切の有情を養育し、

その寿命を延べて長く養い、ついに成仏の徳用をあらわすのである。これを疑い、信じ

ない人があろうか。無心の草木でさえ、なおこのとおりである。まして人間においては

なおのことである。我らは迷いの凡夫であるといっても、一分の心もあり、力もあり、

善悪をも分別し、時節を考え知ることもできる。しかも、宿縁に催(もよお)されて、

生を仏法を流布の国土にうけたのである。善知識の縁に値えば因果を分別して成仏でき

る身であるのに、善知識に値っても、草木にも劣って、身中の三因仏性をあらわさず

にそのままにしてしまう理由があろうか。このたび、必ず必ず、生死の夢を覚まして

本覚の寤に還って生死の紲を切るべきである。今から以後は夢のなかの法門を心にかけ

てはならない。三世の諸仏と我が一心と和合して妙法蓮華経を修行し、障りなく開悟す

べきである。自行と化他との二教の差別は、鏡にかけて曇りはないのである。三世の

諸仏の勘文はこのとうりである。

秘すべきである。秘すべきである。

本覚の寤・衆生は本来そのままで仏の覚りの身体

 

 

 十如是が解っておりますのに、この宿業から抜けられませんの。
申し訳ありません、短いおつきあいをありがとうございました
今度こそお別れですのお元気で・それでは皆様さようなら

 

 

*我が国の無知慢心と戦う少数の良心に賛同と敬意を*

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