日妙聖人御書   P1215

 此の御経こそ実語の中の実語にて候へ、実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実

 

語の女人にて・おはすか、当に知るべし須弥山をいただきて

 

大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見

 

るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏

 

・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四天等・此女

 

人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、

 

日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたまわりて不軽菩薩の義になぞ

 

らへん・日妙聖人等云云。相州鎌倉より北国佐渡の国・其の

 

中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にした

 

がう事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・

 

民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身の三悪道の苦をふ(経)るか、其の上当世は世

 

乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、

 

其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而一人の幼子あり・あづくべき父も・

 

たのもしからず・離別すでに久。かた・がた筆も及ばず心

 

弁へがたければとどめ畢んぬ。

   
    日 妙 聖 人  文永九年太歳壬申五月二十五日     

                                                                                             

                                                                                   日 蓮 花 押

 

  日妙聖人とは鎌倉にお住おまいでした、夫と離別その後、日蓮大聖人に帰依いたしま

す、そして佐渡に流されました、日蓮大聖人の

御許に参ります幼子の乙御前をかかえて、やっと手にした片道の路銀を持ち荒波の日本

海を渡りました、
 
 「日妙聖人御書」は文永9年(1272年)5月、佐渡の一谷(いちのさわ)

にて御執筆になりました、

 

 


武田邦彦大変重要な素晴らしい方が今の日本にもおいでになりました。
 
 当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天

王・帝釈・四天等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、

 

 日妙聖人は女性です、武田先生は男性です。(日本の工学者)「法」を語る彼を

 

日蓮大聖人も必ず、こう申すでしょう

 

 「かた・がた筆も及ばず心弁(わきま)へがたければとどめ畢んぬ」。

 

 

 

 

人間とは何でしょう、

 如是(かくのごとき)、 → 姿・振る舞
 
 如是(かくのごとき) 、 → 性質・性分
 
 如是(かくのごとき) 、 → 本体
 
 如是(かくのごとき) 、 → 力用・潜在能力
 
 如是(かくのごとき)、 →  外にあらわれた作用・力が顕現して動作となったもの
 
 如是(かくのごとき)、 → 果を招く直接原因
  
 如是(かくのごとき)、 → 因を助ける補助的原因
 
 如是(かくのごとき) 、 → 因から生じた結果のこと
 
 如是(かくのごとき) → 報復・むくい
 
 如是(かくのごとき) 本末究竟等 →  始め「本」と終わり「末」   

                          妙法蓮華経 方便品第二


*「本」が始め如是のこと(姿・振る舞い)「末」

が終わり如是(そのむくい・報復)が本末究竟等・一貫して等しい、のです..。

                              「十如是」
        
 
 行為・行動は総て物質の作用です、「どういう理由でこうなる」例えば人為的とか

を、人間は考えるのです。しかし総て「法」則の上の出来事ですの    
 

2019年10月11日。仏法の大事を書きました。

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