此の御経こそ実語の中の実語にて候へ、実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実
語の女人にて・おはすか、当に知るべし須弥山をいただきて
大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見
るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏
・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四天等・此女
人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、
日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたまわりて不軽菩薩の義になぞ
らへん・日妙聖人等云云。相州鎌倉より北国佐渡の国・其の
中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にした
がう事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・
民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身の三悪道の苦をふ(経)るか、其の上当世は世
乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、
其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而一人の幼子あり・あづくべき父も・
たのもしからず・離別すでに久。かた・がた筆も及ばず心
弁へがたければとどめ畢んぬ。
日 妙 聖 人 文永九年太歳壬申五月二十五日
日 蓮 花 押
日妙聖人とは鎌倉にお住おまいでした、夫と離別その後、日蓮大聖人に帰依いたしま
御許に参ります幼子の乙御前をかかえて、やっと手にした片道の路銀を持ち荒波の日本
海を渡りました、
「日妙聖人御書」は文永9年(1272年)5月、佐渡の一谷(いちのさわ)
にて御執筆になりました、
【武田邦彦】大変重要な素晴らしい方が今の日本にもおいでになりました。
当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天
王・帝釈・四天等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、
日妙聖人は女性です、武田先生は男性です。(日本の工学者)「法」を語る彼を
日蓮大聖人も必ず、こう申すでしょう
「かた・がた筆も及ばず心弁(わきま)へがたければとどめ畢んぬ」。
人間とは何でしょう、
如是(かくのごとき) 相、 → 姿・振る舞
如是(かくのごとき) 性、 → 性質・性分
如是(かくのごとき) 体、 → 本体
如是(かくのごとき) 力、 → 力用・潜在能力
如是(かくのごとき) 作、 → 外にあらわれた作用・力が顕現して動作となったもの
如是(かくのごとき) 因、 → 果を招く直接原因
如是(かくのごとき) 縁、 → 因を助ける補助的原因
如是(かくのごとき) 果、 → 因から生じた結果のこと
如是(かくのごとき) 報 → 報復・むくい
如是(かくのごとき) 本末究竟等 → 始め「本」相と終わり「末」報
妙法蓮華経 方便品第二
*「本」が始め如是相のこと(姿・振る舞い)「末」
が終わり如是報(そのむくい・報復)が本末究竟等・一貫して等しい、のです..。
「十如是」
行為・行動は総て物質の作用です、「どういう理由でこうなる」例えば人為的とか
を、人間は考えるのです。しかし総て「法」則の上の出来事ですの
2019年10月11日。仏法の大事を書きました。