龍天に登る

「意思」
二元性・一つの事象に対して二つの原理があることを二元性と呼びます。
「この世は、正と邪、光と闇、白と黒、善と悪といった相反する様々な二つの要素が存在します 」...
「意志」
一元性・さまざまな事物が根源を一つにしているとみえるさま。

日本の皆様はなぜ今の境涯をお持ちになったのか、お解りでしょうか。
本来、意志とは一元性です.。正と邪、光と闇、白と黒、善と悪。この二元性が事実上
お解りになりませんでした。明るい中で暗さを知り、光の中で暗黒を知り、善の中で悪を
知るのです。そしてその理由もです。ですから皆様を対象の中に置く手立てとして二元性
を選んだのですつまり、人体という形で、解りますか。
(何もわからない)「無垢の貴方」と記したのです。十如是の通りの確約・認識の旅に我を競って飛び出したのです。それが久遠の皆様です。皆様はそれぞれの思惑で感覚を知り
実践し、今日の実務を身に着けたのです。つまり
世情(世の中)の闇・黒・悪、を見極めることのための二元性の感覚を身に憑けたのです。
頭脳・意思(エゴ)を貴方の身体に教授するために、どうでしょうか、皆様そうなりましたで
しょう。人体の意思に刻みましたこの二つの問題「良いこと」・「悪いこと」しかしこれが
正当な(生命の志向)に依った善悪の基準・生命の意志との違いを発生いたします。当初の
生命思考「生命を貴ぶ」からそれた悪意が皆様を洗脳いたしました。
お解りになりましたでしょうか。悪意の増上慢が皆様の真実を欺瞞に変えたのです。

皆様に提案がございます。まず皆様を招待いたします。昔懐かしい映画館です。
皆様は小さめな席に座っております。映画が始まります。「ある少年の記録」と
あります。何とそこに展開するのは皆様個人の記録映画です。皆様の行為・行動
・その時の精神状態・そして晩年の貴方へと向かいます貴方の日々の一部始終が
展開されます。貴方は客席からその状態を見続けています。「あんなことして」。
とか「恥ずかしい」とかいろいろござい「「あのシーンをこうしたらいい」とか
「あそこは絶対にこうすべきだった」とか思いは尽きません。
ここでこう考えるのです。これは記録だそれも私の記録映画。「私が学んだこと
それは何だったのか」。です貴方はこの年月を懸けて多くを学んだ事実これを
今見ているのです。貴方の意志がお解りですか。

三次元の貴方を高次元の貴方が見ているのです。



当詣道場(まさに道場に詣る)
法華経普賢菩薩勧発品第二十八」
当に道場に詣して無上(この上ない)悟りを得た。
貴方は悟ったのです。変えられますか貴方自身を。



皆様は何もわからない無垢の貴方からすべてを知った本門の貴方に変わるのです。