立正安国論

「度し難き衆生」の皆様お解りになりましたか、「度し難き衆生」とは仏縁の

ない者は、すべてに慈悲を垂れる仏でも救えない。転じて、人の忠告を聞こう

ともしない者は救いようがない。と申しますの

 

 総理大臣を筆頭にした政治家の実務の所業・共産党の党員がその本意(虐殺)

を理解しているかの事柄や・公務員、は公僕(広く公衆に奉仕する者)を

実務としているとの自覚の有無のことや・

経済が分からない社長様・経済学者の実質の行動やら

あまりにも全般について多すぎてなんと申しましょ、書き連ねても余りある

人心の悪行どこまで「世法」・そして「仏法」を見下した

誹謗正法の数々でしょうか、他人のこととは申しましても、

考えが及びませんの。

 

  立正安国論

  旅客来りて嘆いて日く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く

天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招く輩既に

大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し、

 

  旅人が来て嘆いていうには、近年から最近に至るまで、天変地夭夭、

飢饉や疫病があまねく天下に満ち広く地上にはびこっこている。牛馬は

いたるところに死んでおり、その死骸や骸骨が道路いっぱいに満ちている。

すでに大半の者が死に絶え、これを悲しまない者は一人もなく、万人の

嘆きは日に日につのるばかりである。

 

 

 主人の曰く独り此の事を愁いて胸臆に憤悱す客来って共に嘆く屢談話を

致さん、夫れ出家して道に入る者は法に依って仏を期するなり而るに今

神術も恊わず仏威も験しなし、具に当世の体を覿るに愚にして後世の疑を

発す、然れば則ち円覆を仰いで恨を呑み方載に俯して慮を深くす、倩ら

微管を傾け聊か経文を抜きたるに「世皆正に背き人悉く悪に帰」、

故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず。

 

 主人のいわく。自分は一人でこのことを愁いて、胸の中に思い悩んで

いたところ、客が来て共に嘆くので、今これについて、語り合おうと思う。

一体、出家して修行の道に入る者は、正法によって成仏を期するのである。

しかるに今や神術もかなわず、仏の威徳にたよっても、そのしるしがない。

今つぶさに現在の世の状態を見ると、一般大衆は愚かで、後輩としての

疑いを起こしている。それゆえ、天を仰いでは恨みを呑み、地に附しては

深く憂慮に沈んでしまうのである。今おそれおおくも、わずかに眼を

開いて、少しばかり経文を開いてみるのに、

世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している

 


 夫れ国は法に依って昌え法は人に依って貴し国亡び人滅せば仏を

誰か崇む可き法を誰か信ず可きや、先ず国家を祈りて須く仏法を立つ

べし若し災を消し難を止むるの術あらば聞かんと欲す。

 

 国家は法によって栄え、法は人によって貴いのである。国が亡び、

人々が滅するならば、仏を誰が崇めるであろう、法を誰が信ずるで

あろう、まず国家の安泰を祈って、しかるのちに仏法を立てるべき

である。もしそのような災難を防ぎ、国家繁栄の術があるならば

聞きたいものである。

 


 主人の曰く、余は是れ頑愚にして敢て賢を存せず唯経文就いて

聊か所存を述べん、抑も治術の旨内外の間其の文幾多ぞや具に仰ぐ

可きこと難し、但し仏道に入って数は愚案を廻すに謗法の人を禁め

て正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん

 

 自分はもとより頑愚で、何も賢いわけではない。ただ釈尊

経文について少しばかり考えているところを述べてみたい。

そもそも災難を治術する方法については、仏法の経典にも、また

仏法以外の書にも、たくさん説かれており、残らずここにあげる

ことはとうてい困難なことである。ただし仏道に入って

しばしば自分の考えをめぐらしてみると、結局、謗法の人を禁止

して、正法護持の人を重んずるならば、

国中は安穏となり、天下は泰平となることは明白である。

 

立正安国論 日 蓮 文応元年七月三十九歳御作 与北条時頼書 於鎌倉

 

 

*日本国の安泰とは

謗法(誹謗正法)を禁止して、正法護持の人を重んずるならば国中は安穏となり、

天下は安泰となる

 


*貴方の安泰とは

貴方個人の現在の謗法を禁止して、過去の宿業に立ち向かう

そのための三大秘法ですの


「 法」とは生命誕生の時から決まっていると申しました、

その法に背くことが誹謗正法と申しますの

 

 

誹謗正法が「解らない」と申します方がございました、このブログに


何十篇となく記入してございますの、正法とは貴方の命のことですの


貴方の命の遺伝子は染色体を構成するDNAのうち、タンパク質の


合成に使用されるコードが記録されている部分のことです。ですから


貴方自身の生命のことですの、貴方の「生命」を「南無妙法蓮華経

申しますの、


広くは宇宙すべてを貫く「法」の名前ですの


世の中のすべての物質(生命)のことですの、誹謗正法とはこの

生命を謗ることですの。特に人間とは一人一人の思い・意志(一念)で

生存していらっしゃいますの、


お解りですか・・・意志とは確定した思いですの、確定した「法」と

 

確定した思いですの。

 

 生命誕生の時から決まっている「法」の中で釈迦仏の悲願「仏性・感性」

を湧現できる皆様になることを成仏と申しますの

 

 

正装とは何でしょう、正式の装いとあります、定められた正しい方式や、

 

簡略化しない本来の形式に従っていること。とあります、本来の形式に従う、


簡略化しない形式とは、いかに困難であろうがまたいかに難題であろうが

 

何一つ変わることのない尊敬の意志・相手を貴ぶ行為が自己表示として

 

ここにございますの、皆様は葬儀の時になぜこの正装をいたしますの、

 

お忘れでしょうか

貴方の脳細胞以外の、行為に知らず知らずのうちに感性(仏性)が働いて

 

おりますの、臨終最後の時にこの「法」の、意志を読み解いておりますの、

 

貴方の身体がですの、

 

 

相手を最極の意志「姿・行為・行動」が本来の「法」の姿ですの、これが


宇宙すべてを統括いたします、「法体」ですの、解りますかこの「法体」を

 


「南無妙法蓮華経と申します、

 


そしてこの「法」に背く全く反対の意思これを堕地獄の謗法(誹謗正法)と申します。

 

現在の皆様ですの

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に悲しいことですの、このことは貴方の身体「妙法蓮華経

が貴方の今の境涯として

確実に証明いたしますの、

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